最近、i-phoneの待ち受けに設定した画像、そこにはこう書かれています。
「自信とは自分との約束を守った量のこと」
どこかで拾ってきた画像なので、誰が書いたか知りませんが、見た瞬間に心に矢を刺されたような衝撃を受けました。
すごく単純なことなのに、今まで、そんなふうに考えていなかった「自信」という言葉。
とりあえず進み続けること、それが自信に繋がるものだと強引に考えていた。
もちろん、進み続けることは大切だと思う。
けど、ただただ、それだけじゃ辛いこともあるよね。
何かを見失うときもあるよね。
そんなときに、ただ進め!って言い聞かしても何かね・・。
だから、この言葉を心に置いて、いつでも確認できるように前進するんだ。
「自信とは自分との約束を守った量のこと」
何か気持ちが楽になった気がする。
ま、これはこれで置いといて、先ほど、昔の書類をあさっていると発見した、何ともすばらしいものを発表します^^
それは「笑顔」の効果をまとめた内容で、下記に記します。
〜笑顔の10効果〜
ー、元手がいらない しかも利益は莫大
ー、与えても減らず 与えられたものは豊かになる
ー、一瞬見せれば その記憶は永遠に続くことがある
ー、どんな金持ちでも これなしでは暮らせない
ー、どんな貧乏人でも これによって豊かになる
ー、家庭に幸福を 商売に善意をもたらす友情の言葉
ー、疲れた者にとっては休養 失意の人にとっては光明
ー、悲しむ者にとっては太陽 悩める者にとっては自然の解毒剤となる
ー、買うことも 強要することも 盗むこともできない
ー、無償で与えて はじめて値打ちが出る
こうやって書いて、読んでいると、これって結局のところ「感謝の気持ち」や「慈愛」を形にしただけのものではないかと思えてくる。
やっぱりそこが大切なんだな。。きっと。
未だにこんなことを語ってる自分が、どんどん情けなくなってくるけど、気づいてこそ新たな前進があると信じよう。
心に秘めて、ここにいる命と共に生きよう。
2012年11月22日
心に響く言葉
posted by かたもみ堂 http://katamomi-shoji.com at 23:48| Comment(0)
| 日記
今..振り返る
親父が亡くなって、はや一ヶ月ちょっと。
長年営んでいた居酒屋の撤収作業が落ち着き始め、そんな店を眺めていると、いよいよ実感が湧いてきたのか急に寂しさが降り注いできた。
ここ数日、なぜか親父のことをよく思い出す。
亡くなった当時は、もちろん悲しかったけど、それ以外には特に何もなかった。
けど、今は・・
やっぱり親父に対して後悔があるのかな・・
もっとしてあげられることも、その時間もあったのに、してあげなかったことがある。
やっぱり後悔なのかな・・。
と、考え込んでいる内に、もしかして親父に対する後悔と言うより、自分自身の、ここ数年の行動に対しての後悔?と言うのか、何と言うのか・・。
とにかく、そういう何かではないかと思えてきた。
五年ほど前に、整体屋の道を目指し始め、今では整体とはまた違うけど、もっとしっかりと勉強するために柔道整復師の資格を目指して専門学校に行き始め、現在は学生。
自分なりにしっかりと目標を見つけ進んでいるのだが、その反面、そのことに甘え、目標のないころの自分を忘れて少し舵が狂っているのではなかろうか。
仕事をしながら学校の勉強をしているだけでバタバタして、少しの空き時間があれば自分の娯楽のために使いたいと思っている自分は確かにずっと居た。
そして自分はそのことに満足していた。
誰かに用事を頼まれても返事はノー。休みの日でも返事はノー。
特に病気の親父からマッサージの依頼をされても、三回に一回くらいの頻度でやっとイエス。
優しい心と、感謝の気持ちを絶やしてはならない。
そう認識するのではなく、自然にそう感じられる人間になりたいと思った。
なのに、その気持ちが一切見当たらない。
振り返ると、少し先には見当たらず、けっこう昔の話。
きっと、そのことに対しての後悔、反省が大きいように感じる。
やっと再スタートのラインを見つけた気がする。
今、新たに前を向いて、目標に向けて、さらに前進したい。
そして、感謝の気持ちを忘れず、自分中心になっていたことを反省する。
そして、今、ここに示した内容を親父に伝えたい。
ありがとうって言いたい。
長年営んでいた居酒屋の撤収作業が落ち着き始め、そんな店を眺めていると、いよいよ実感が湧いてきたのか急に寂しさが降り注いできた。
ここ数日、なぜか親父のことをよく思い出す。
亡くなった当時は、もちろん悲しかったけど、それ以外には特に何もなかった。
けど、今は・・
やっぱり親父に対して後悔があるのかな・・
もっとしてあげられることも、その時間もあったのに、してあげなかったことがある。
やっぱり後悔なのかな・・。
と、考え込んでいる内に、もしかして親父に対する後悔と言うより、自分自身の、ここ数年の行動に対しての後悔?と言うのか、何と言うのか・・。
とにかく、そういう何かではないかと思えてきた。
五年ほど前に、整体屋の道を目指し始め、今では整体とはまた違うけど、もっとしっかりと勉強するために柔道整復師の資格を目指して専門学校に行き始め、現在は学生。
自分なりにしっかりと目標を見つけ進んでいるのだが、その反面、そのことに甘え、目標のないころの自分を忘れて少し舵が狂っているのではなかろうか。
仕事をしながら学校の勉強をしているだけでバタバタして、少しの空き時間があれば自分の娯楽のために使いたいと思っている自分は確かにずっと居た。
そして自分はそのことに満足していた。
誰かに用事を頼まれても返事はノー。休みの日でも返事はノー。
特に病気の親父からマッサージの依頼をされても、三回に一回くらいの頻度でやっとイエス。
優しい心と、感謝の気持ちを絶やしてはならない。
そう認識するのではなく、自然にそう感じられる人間になりたいと思った。
なのに、その気持ちが一切見当たらない。
振り返ると、少し先には見当たらず、けっこう昔の話。
きっと、そのことに対しての後悔、反省が大きいように感じる。
やっと再スタートのラインを見つけた気がする。
今、新たに前を向いて、目標に向けて、さらに前進したい。
そして、感謝の気持ちを忘れず、自分中心になっていたことを反省する。
そして、今、ここに示した内容を親父に伝えたい。
ありがとうって言いたい。
posted by かたもみ堂 http://katamomi-shoji.com at 01:07| Comment(1)
| 日記